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スピードスケートの歴史は技術の進化の歴史?

冬季オリンピックの花形競技であるスピードスケートは、もちろん22大会全てで実施されていますが、元々は同タイム決着になることも多く、授与されるメダルの色や数が不安定な競技でした。
・1924年のシャモニー大会 → 男子500mで銅メダルが2人。
・1928年のサンモリッツ大会 → 男子500mで金メダルが2人、銀メダルがなく銅メダルは3人。
・1948年のサンモリッツ大会 → 男子500mで銀メダルが3人、銅メダルなし。
・1952年のオスロ大会 → 男子500mで銅メダルが2人。
・1956年のコルティナダンペッツォ大会 → 男子1500mで金メダルが2人、銀メダルなし。
・1960年のスコーバレー大会 → 男子1500mで金メダルが2人、銀メダルなし。
・1964年のインスブルック大会 → 男子500mで銀メダルが3人、銅メダルなし。女子3000mで銀メダルが2人、銅メダルなし。

そして遂に、
・1968年のグルノーブル大会 → 男子500mと1500mで銀メダルが2人、銅メダルなし。女子500mで銀メダルが3人、銅メダルなし。
たった3種目で銀メダリストが7人、銅メダルはいないという状況に。

そこで迎えた1972年の札幌オリンピック。
ここで登場するのが、従来の10分の1秒までではなく、100分の1秒まで正確に計測する機材です。
さっそく威力を発揮します。
女子1000mでいきなり最小の100分の1秒差で銀メダルと銅メダルの運命が分かれることになりました。

続く1976年のインスブルック大会でも女子3000mで100分の1秒差がメダルの色を分けることになり、同タイム決着はなし。
これで同タイム決着はなくなるように見えます。

ところが続く1980年のレークプラシッド大会。
人間のスケート技術のレベルが上がるにつれて大接戦が多くなるのか、3大会目で早くも出てしまいます。
男子1000mで3位の2人が同タイム。

その後は、同タイム決着こそないものの、極小差の決着が毎回発生し続けます。

そして迎えた1998年の長野オリンピック。
またしても日本開催です。
この大会からは、男女とも500mは2本滑って合計タイムで競うように変更になりました。
ここでもいきなり男子500mで、2本の合計が100分の2秒差という極小差で銀メダルと銅メダルの運命が分かれます。
因みにこの時の金メダルは日本の清水宏保選手。

続く2002年のソルトレークシティ大会でも男子500mで2本滑って100分の3秒差が金メダルと銀メダルを分けます。
この時の銀メダルも清水宏保選手。

さらに2006年のトリノ大会からは、日にちを分けずに1日で2本滑って合計タイムを競うようになり、種目名も2x500mとなります。
ですが、またまた100分の2秒差で銀メダルと銅メダルが分かれます。

2010年のバンクーバー大会では、日本の長島圭一郎選手と加藤条治選手が100分の3秒差で銀メダルと銅メダルを分け合うことになりました。

そのような状況で迎えた2014年のソチ大会。
ここで日本でも話題になったのが男子1500m。
速報タイムは100分の1秒まで同じで2人がトップに並びました。
ならば同タイムなのか・・・
違いましたね。
そうです。1000分の3秒差で金メダルと銀メダルを分けたのでした。
もはやF1かという勝敗。

因みに、この1000分の3秒差でオランダは男子種目完全制覇を逃したのでした。。。
幻となった完全制覇の偉業。
史上最も小さな差が、とんでもなく大きな差となった瞬間でした。

いずれは1000分の1秒まで同タイム・・・そんな瞬間を見ることになるのでしょうか。

今回は、珍しく文章だけでお届けしましたm(__)m

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